みんなの股関節ストーリー
「立ち上がって、最初の一歩が出ない」 人工股関節手術を経験したIさんと考える、見逃したくない股関節のサイン

人工股関節手術経験者 × 整形外科医 対談
監修・解説:高平尚伸教授
体験者:Iさん(60代・女性/2022年に右人工股関節全置換術を経験)
構成:股関節のミカタ編集部
「立ち上がると、もう痛くて1歩目が踏み出せなかったんです。少しストレッチをしてから、ようやく歩き始めるような感じでした」
そう振り返るのは、2022年に右股関節の人工股関節手術を受けたIさんです。現在60代。学生時代にはテニスやバレーボールを経験し、社会人になってからもテニス、ゴルフ、スキーを楽しみ、仕事では営業職として全国を動き回ってきました。1日の歩数は1万歩を超えることも珍しくなかったといいます。
そんな生活が大きく変わったのが、2020年の新型コロナウイルス感染症の流行でした。在宅勤務となり、オンライン会議やワークショップが続く毎日。4時間、5時間とほとんど立たずに座り続けることもありました。やがて右股関節に違和感が現れ、整骨院に約1年間通ったものの改善せず、整形外科で画像検査を受けたときには、人工股関節手術を検討する段階まで進んでいました。
Iさんの経験から、股関節の異変をどこで見つければよかったのか。高平尚伸教授と一緒に考えます。
「そのうち良くなる」と思っていた違和感
Iさんが股関節の違和感をはっきり感じるようになったのは、2021年ごろでした。最初に頼ったのは、近所の整骨院です。
Iさん 「押されるとすごく痛いところがあって、しばらく通っていました。でも、1年近く通っても股関節については、なかなか良くならなかったんです」
その後、整形外科でレントゲン検査を受けたIさんは、「このままでは歩くことが難しくなる」と人工股関節手術を勧められました。自分では、そこまで状態が進んでいるとは思っていなかったといいます。
ここに、股関節の病気で注意したいポイントがあります。強い痛みが突然現れるとは限らず、日常生活の小さな変化の中にサインが出ていることがあるからです。
高平教授が注目した「動き始めの痛み」
Iさんの話の中で、高平教授が特に注目したのが、座った状態から立ち上がった直後の痛みでした。
Iさん
「動かない状態が続いて、立ち上がるともう痛くて、1歩目が踏み出せなかったんですね。少し立ってストレッチしてから歩き始めるような感じでした」
高平教授
「これは、変形性股関節症でみられる『動き始めの痛み』として考えられる症状です。少し動いていると楽になる、という訴えも診察では大切な情報になります」
変形性股関節症では、鼡径部(そけいぶ:脚の付け根)を中心とした痛みのほか、立ち上がり、歩き始め、階段昇降、靴下を履く動作などで症状が出ることがあります。
「歩けるかどうか」だけではなく、「以前と同じように動けているか」を見ることが大切です。立ち上がった後にしばらく身体を慣らさないと歩けない、歩幅が小さくなった、片側をかばうようになったといった変化も、受診時に医師へ伝えてほしい情報です。
在宅勤務で動かなかったことが“原因”なのか
Iさん自身は当初、「コロナ禍で身体を動かさなくなったことが原因だったのでは」と考えていました。確かに長時間同じ姿勢が続けば、股関節周囲の筋力や柔軟性、身体活動量に影響する可能性があります。
高平教授
「ただ、『運動不足だったから変形性股関節症になった』と一つの原因だけで説明するのは慎重であるべきです。股関節症は、股関節の形、年齢、体重、負荷のかかり方など、複数の要因を見て考える必要があります」
Iさんの場合、高平教授が対談の中で可能性として挙げたのが「寛骨臼形成不全(かんこつきゅうけいせいふぜん)」でした。
日本人女性が知っておきたい「寛骨臼形成不全」
寛骨臼とは、大腿骨頭(大腿骨の上端にある球状の部分)を受け止める骨盤側の“受け皿”です。寛骨臼形成不全とは、その受け皿による骨頭の覆いが少ない状態をいいます。
受け皿が浅いと、体重を受ける面積が小さくなり、関節の限られた部分に負荷が集中しやすくなります。日本の多施設研究でも、変形性股関節症と寛骨臼形成不全との関連が示されており、とくに日本人女性の股関節を考えるうえで重要な形態的要因の一つです。
高平教授
「Iさんの場合も、もともと寛骨臼形成不全があった可能性は考えたいところです。ただし、これは手術前のレントゲンなどを確認して判断する必要があります」
つまり、「在宅勤務で座りすぎたから人工股関節になった」と短絡的に考えるのではなく、もともとの股関節の形態に、生活環境や身体活動の変化などが重なって症状が表面化した可能性を考えることが重要です。
足関節が緩いから、股関節が悪くなった?
Iさんには、若いころから捻挫を繰り返し、足関節が緩いと言われていた経験もありました。そこで「土台である足関節が不安定だから、膝関節や股関節に負担がかかったのではないか」と説明されたことがあったといいます。
高平教授
「人間の身体は建物のように単純ではありません。足関節が不安定だから、その上の股関節が悪くなった、と一直線には説明できません」
もちろん、足関節・膝関節・股関節・骨盤・脊椎は、歩行や運動の中で互いに連動しています。ただし、痛みの原因を一つの部位だけに決めつけると、股関節そのものの変形や形態的特徴を見逃すことがあります。股関節の痛みが続く場合は、まず整形外科で画像を含めて状態を確認することが大切です。
「殿部が固まって、坂道で脚が出せなかった」
症状が強くなっていたころ、Iさんには鼡径部だけでなく、殿部にも強い痛みがありました。
Iさん
「殿部がものすごく痛くなって、ガチガチに固まった感じでした。少しの坂道でも、脚を踏み出せないくらい痛いときがありました」
高平教授
「股関節の周囲には多くの筋肉があり、殿部の筋肉も股関節をまたいで働きます。一方で、殿部の痛みは腰部由来の場合もあります。『股関節の周りが痛い=すべて股関節が原因』とは限らないため、腰部も含めて評価することが大切です」
股関節痛と腰痛は症状が重なることがあり、自己判断では区別が難しい場合があります。「腰だと思っていたら股関節だった」「股関節だと思っていたら腰部の影響もあった」ということもあります。
2022年、右股関節を人工股関節へ
Iさんは2022年、右股関節の人工股関節全置換術(THA:傷んだ股関節を人工の関節に置き換える手術)を受けました。手術は前方から股関節へ到達する方法で行われたといいます。
人工股関節手術には複数の進入法があり、それぞれに長所と注意点があります。現在の整形外科診療では、一つの方法だけをすべての患者さんに当てはめるのではなく、患者さんの身体や術者の経験などを踏まえて選択します。
重要なのは「どの術式が一番新しいか」ではなく、自分の状態に合った方法について十分な説明を受け、納得して選ぶことです。
人工股関節にすれば、すぐ元通りになるわけではない
Iさん
「股関節手術をする前は本当に歩けなくなっていました。その後、普通の速さで歩けるようになったと感じるまで、1年以上はかかりました」
人工股関節全置換術は、進行した変形性股関節症に対して、疼痛や身体機能、生活の質の改善が期待できる確立された治療です。ただし、関節を人工物に置き換えれば、その瞬間に筋力や身体の使い方まですべて元に戻るわけではありません。
高平教授
「病院のリハビリテーションは、まず日常生活ができる状態へ戻すことが中心になります。でも患者さんが求めているのは、『生活できる』だけではなく、『以前のように動きたい』『スポーツもしたい』というところまで含まれることがあります」
Iさん
「手術した後、1年ぐらいは痛みが強く、中腰もできませんでした。退院後も、もっと継続して身体を戻していける仕組みがあればいいなと思います」
退院は、身体づくりの終了ではありません。術後の回復過程では、その人の状態に合わせた運動やセルフケアを継続していくことも重要です。
反対側の股関節にも痛み。今は「身体の変化」を見るように
右股関節の手術から数年。Iさんは、手術をしていない左股関節にも痛みを感じることがあるといいます。現在は、ストレッチや股関節を動かす運動に加え、Takahiraボードも日常的に使用しています。
Iさん
「良くなったかなと思うと、また少し痛くなったりします。良くなってくるとストレッチをサボってしまうこともあると思いますが、ボードには毎日乗っています。それでも『今日はちょっと痛いな』という日があります」
高平教授
「変形性股関節症の症状は、毎日一直線に悪くなるわけではありません。良い時期と悪い時期を繰り返しながら、長期的に変化していくことがあります。前日に歩きすぎた、重い物を持ったなど、その日の負荷によって翌日の痛みが変わることもあります」
大切なのは、「今日は痛くないから治った」「今日は痛いから急激に悪化した」と一日単位で判断しないことです。半年前、1年前と比べ、歩行や生活動作がどう変わっているかを見ることが重要です。
3DジグリングやTakahiraボードについて
高平教授が考案した3Dジグリングは、股関節を一方向だけでなく、多方向へ小さく動かす考え方です。対談では、日常生活では股関節を前後方向に使うことが多く、回旋や側方への動きが少なくなりやすいという話もありました。
一方で、ここは医学的に慎重に区別する必要があります。3DジグリングやTakahiraボードを行えば、人工股関節手術を一定の割合で必ず回避できる、という結論は現時点で確立していません。
軽度から中等度の変形性股関節症に対する適切な運動療法については、疼痛や身体機能の改善を支持する医学的根拠があります。しかし、どの運動をどれだけ行えばよいかは、股関節の状態や症状によって異なります。痛みが強いときに無理をするのではなく、医師などに相談しながら行うことが大切です。
「痛い日」と「痛くない日」があるから、まだ大丈夫?
症状が日によって変化すると、「今日は大丈夫だから、まだ病院に行かなくてもよい」と考えてしまいがちです。ところが、変形性股関節症は症状の波を伴いながら進行することがあります。
判断の目安は、痛みの有無だけではありません。「以前より外出が減った」「階段を避けるようになった」「靴下を履くのに苦労する」「歩幅が小さくなった」など、生活の中でできなくなったことが増えていないかを確認してください。
Iさんが、いま股関節に悩む女性へ伝えたいこと
Iさんは人工股関節手術を経験してから、周囲の女性から股関節について相談される機会が増えたといいます。痛みがあっても我慢している方、歩き方が変わっている方、夜も痛くて眠れない方。それでも「まだ手術はしたくない」「別の医師に聞いたら、主治医を信用していないと思われそう」と悩む方もいるそうです。
高平教授
「レントゲンを見せてもらったり、他の医師の意見を聞いたりすることは、決して悪いことではありません。主治医を疑うためではなく、自分自身が納得して治療を選ぶためです」
治療方針に迷うときは、自分の画像所見や病期、保存療法(手術をしない治療)の選択肢、手術を考える場合の時期について説明を受けることが大切です。必要に応じて、股関節を専門とする別の医師から意見を聞くことも選択肢です。
高平教授から、股関節に悩む女性へ
仕事、家事、子育て、親の介護。女性は、自分の身体のことを後回しにしながら日々を過ごしてしまうことがあります。40代、50代になり、生活が少し落ち着いてから初めて股関節を受診し、振り返ると何年も前から症状があった、ということもあります。
人工股関節手術を必要以上に怖がる必要はありません。一方で、「まだ我慢できるから」と痛みを放置し続ける必要もありません。
高平教授
「私がお伝えしたいのは、『手術を何としても避けましょう』ということでも、『痛いならすぐ手術しましょう』ということでもありません。その間にある時間を大切にしてほしいということです。少し違和感がある段階で、自分の股関節の状態を知っておく。そこから、その時点でできることを考えていくことが大切です」
鼡径部が痛い。立った直後の一歩が痛い。靴下が履きづらい。階段がつらい。歩幅が小さくなった。以前より外出したくなくなった。
こうした小さな変化が続いているのであれば、「年齢のせい」と片付けないでください。一度、整形外科、できれば股関節を専門とする医師に相談し、今の状態を確認してみることをおすすめします。
その一歩は、将来の手術を怖がるためのものではありません。10年後、20年後も、自分の脚で自分の行きたい場所へ行くための一歩です。Iさんの経験が、自分の股関節と向き合うきっかけになればと思います。
股関節セルフチェック
・鼡径部(脚の付け根)に繰り返し痛みや違和感がある
・椅子から立った直後の一歩が痛む
・少し歩いていると楽になることがある
・靴下を履く、足の爪を切る動作が以前より難しい
・階段や坂道を避けるようになった
・歩幅が小さくなった
・無意識に片側をかばって歩いている
・長時間座った後、股関節が固まったように感じる
・殿部や大腿部にも繰り返し痛みがある
・股関節痛のために外出や旅行を控えるようになった
※これらの症状があるからといって、必ず変形性股関節症とは限りません。腰椎疾患など別の原因によって似た症状が生じることもあります。症状が続く場合は自己判断を続けず、医師の診察を受けてください。
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※本記事はIさんと高平尚伸教授の対談内容をもとに、読みやすさのため編集部が構成・整理し、医学的な補足を加えています。発言は趣旨を損なわない範囲で整文しています。
※本記事は股関節疾患についての一般的な医学情報を提供するものであり、個々の診断・治療を代替するものではありません。症状や治療方法については、医師による診察を受けたうえでご判断ください。
